移転しました。

約3秒後に自動的にリダイレクトします。

"JFK暗殺" by ウィリアム・レモン

移転しました。

アメリカ、自由の国に選ばれた若き大統領。雨上がりのダラスに銃声が響く。それは頭上のビルか
ら、そして芝生の丘からも――。真実は陰謀による公開処刑か!? 最後の証人は今、歴史を覆す。


2001年9月11日、自分が何をしていたか記憶しているアメリカ人は多いという。同様に1963年11月22日あの瞬間何百万という場所でスナップショットの様な集団記憶がある。大統領が白昼公然と暗殺され、アメリカが純潔を失ったあの瞬間 ――。どの世代にも各々指標となる日付がある。
92年度アカデミー賞にノミネート7部門、受賞2部門の『JFK』は、社会派監督O・ストーンとケビン・コスナー演じるJ・ギャリソン検事が主役の秀作で、暗殺事件後のウォーレン委員会による“オズワルド単独犯説”に疑惑を投げかけている。当日、大統領と共に撃たれたコナリー州知事の担架からほぼ無傷の弾丸が発見された。委員会はこれが後部座席にいた大統領の背中にあたり喉から出てコナリーの背中に当り彼のわき腹を通り胸から出て手首を砕き最終的に太腿で停止し担架で見つかった(魔法の弾丸説)としている。しかも6秒間に3発を発射するのは単独犯では不可能である。劇中流れる元洋服店主のザプルーダー氏が撮影していた実写フィルムで被弾したジョン・ケネディが後方に、次いで左側に跳ね返る映像を見せられればいやでも、弾丸が背後の教科書ビルからだけとは信じがたい。政府の公式見解と世論との亀裂は、このフィルムが初めてテレビで公開された日に始まった。
教科書ビルの6階は今では博物館になっており、著者の1人フランス人ジャーナリストのウイリアム・レモンはここから取材を開始した。館長はUFOを信じないのと同様に陰謀説も信じていなかった。今だJFK研究者の論調には、どこか“X-ファイル”ばりのSFに似た響きがある。
しかし98年、突如風向きが変わった。40年間沈黙を守ってきた73歳のもう一方の著者、ビリー・ソル・エステスが主治医から癌を告知されたのだ。死を前にして彼は最後の証人としての責任を果すことを考え始めた。「アメリカ人はもうあきあきしているんだ、元々この国には批判精神なんてものは無いのさ、9.11テロで、それさえも麻痺してしまった。イラクを見てみろ。大統領が国民に嘘を付いたとは言わんが、誰も真実なんて気にしちゃいない。だからJFKのことも‐‐、事実は単純なのに皆探し回っている。真犯人はどんな手を使っても権力の座に就こうとした男の仕業さ」と告げた。
真相を理解するにはテキサスを理解することが必要だ。1963年のダラスは2003年より1863年にはるかに近い、アメリカの真の西部、つまりハリウッド化された無色のアメリカの姿とは無縁な土地で、テキサス人はコルト拳銃の銃声を子守唄に少しでも多くの土地を子孫に残そうと血の涙を流し東海岸のエリートに対する憎悪の中に育った世代である。南北戦争は過去のことではなくケネディー家をはじめとする東部のエスタブリッシュメントは敵なのだ。そんななか地元出身のリンドン・ジョンソンが副大統領になったのは慰めになった。しかしJFKは次の選挙では彼と手を切ろうとしていた。アメリカでは真の勝者はなかなか決まらない、一方に東部のエリートもう一方はテキサス男。これは60年代のことか?2000年のことか?所属政党や年代は問題ではない。フロリダでのブッシュとゴアとの得票差をめぐる最高裁の内幕も63年ダラスの街角での惨事の現代版にすぎない。州の選挙人による間接選挙制度下、フロリダ州知事のブッシュの弟が責任者で「48年以来のテキサス流で選挙に勝った」と言われている。そして昨年テキサスは、また地元の人間をホワイトハウスに送り込んだ。
ジョンソンが初めてテキサスで選挙に勝った48年、地元の権力は1人の保安官が握っており郡の開票は1人の判事が行っていた。彼らを味方に(金で)つけることが勝因となっていた。しかし10年前に死亡した人間まで投票したことが発覚、ジョンソンにまで捜査の手がのびていた(75年にこの判事は自殺している)。そしてもう片方の勝因“金”はエステスら地元の利権にからむ富豪たちが担当していた農業公共事業、石油利権、軍事産業、彼らは世界屈指の金持ちでアメリカの政治を思いのままにできると信じて疑わなかった。
しかしエステスは62年にジョンソン失脚をねらうロバート・ケネディー司法長官(JFKの弟)によって57件の不正容疑で告訴された。免責と引き換えにジョンソンにいくら裏金を払ったか自白させようとした。彼が口を開けばケネディーはテキサス人をお払い箱にできる。そしてこの時期いろいろな事件が重なる。ジョンソンの秘書が収賄で逮捕され、地元軍事関連企業の資金提供者も関係を取りざたされ、61年エステスの不正を調べていた農務省の地元役人H・マーシャルが変死体で見つかった。自殺とされたマーシャルの家族は84年に裁判を起ししこれが殺人であることを立証した。この裁判でジョンソンの子飼、マック・ウォレスの目撃が証言されている。またJFK狙撃直後教科書ビル6階のダンボール箱から採取された指紋はオズワルドと2人の地元警官そして身元不明指紋が1人。今回の取材で新たにこれが33の点でウォレスと一致していることが判明した。
 本書ではもう1人重要人物が登場する。テキサス最大の墓地に勤める死体修復人ジョン・リゲットだ。彼は顔面を専門とする熟練者で狙撃当日JFKの顔面修復を秘かに依頼されている。大統領の検死は今でも議論の的だ。ダラスの医師と、ワシントンの医師の記憶は一致せず、また修復後の写真が公開されたためウォーレン委員会を始め諸説を生んでいる。このリゲットは74年にジョンソン元大統領の代役を務め映画出演もしている人物をはじめJFK事件に関連のある7人の殺人等で有罪になり護送中に背中から射殺されたことになっている。(99年リゲットは元妻に目撃されている)73年にジョンソン元大統領は亡くなったが、彼の元顧問らのグループ(政府高官やCIA・FBI・地元警察内部)は今だ健在で事件の究明を阻んでいる。
西洋では紀元前ローマ帝国の時代から「王殺し」が続きそれは自由と平等の国、現代アメリカでも変わりは無い。映画『JFK』の中でも狙撃の報を聞いたケビン・コスナーは嘆く「アメリカ人でいる事がはずかしい--‐」と。71年に釈放されたエステスは、直後にジョンソンの元側近クリフ・カーターと会い、マック・ウォレスが死んだことを告げられた。そしてカーターは初めてJFK事件に直接ジョンソンが関与していることを話しだした。刊末はこの時のテープの冒頭で終わっている。リードテープのノイズの中から40年間の呪縛を解く声が響く「リンドン(ジョンソン)はマックに大統領を殺せなんて言うべきじゃなかったんだ。」(声の主カーターもまた、録音の56時間後に突然死している。)
――本書を読んだあとも皆さんが、無事なことを祈ります――?!

JFK暗殺―40年目の衝撃の証言

JFK暗殺―40年目の衝撃の証言