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それは偶然から始まり、全米の空に発信された!ラジオから流れる真実のみで綴られた、庶民の物語。それぞれのアメリカ! 本当のアメリカ!

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中学の時、小生はある種の魔法にかかった。友達と初めて色の薄いコーヒーを飲んでレコード盤の青いリンゴがグルグル回転するのを見ながら息をころして針を落とした。静寂のノイズの中から“ I feel fine!” 。まるで別世界からの音が流れだす。深夜、ラジオからリクエスト曲とメッセージが暗闇に響く。遠い空の下のリスナーと繋がっている気がした。たとえ” Radio ga ga”でもコーヒー1杯の味がある。どこからともなく香りがよせてきて、ときにほろ苦くあるいは酸味があり、後味が残り、たまに胸にやけることもある。


―― 閑話休題 ――昼下がり、N.YのNPR(全米公共ラジオ局)でインタビューを受けていたポール・オースター(本書の編者)は、ある番組に誘われた。「週に1度、ラジオで物語を語ってみないか!?」と。今でも手一杯の売れっ子作家に、そんな物語をひねり出す余裕はなかった。妻に「ことわろうと、思うんだが」と相談すると、「あなたが書く必要なんてないのよ!リスナーに送って貰って一番いいのを、語ったら?」偶然は、走り出した。
全米の秋空に向け「物語を求めているのです。物語は事実でなければならず短くなければいけませんが、あとは何の制限もありません。どなたからの投稿も歓迎します。全てに目を通します。」と呼びかけた。反響はすさまじく、ホームレスから主婦、退役軍人や刑務所からトゥルー・ストーリーが送られてきた。真実の声のほとんどが最後の一言まで読むにあたいし、まるであらゆる人々が、彼の家のリビングでキャンプを張っているかのように心に踏み込んで来て、彼を打ちのめした。物語は“私の履歴書”的な、自慢話や地位や権威めいた話は驚くほど少なく胸を絞めつけられるような偶然、奇跡の様な出会い、死とのニアミス、絆、悲しみ、家族、夢―。


記念すべき第1回の放送は、1羽の鶏をめぐるわずか6sentence の話で始まる。
「ある日曜の朝早くスタントン通りを歩いていると、何メートルか先に1羽の鶏が見えた。私の方が歩みが速かったので、じきに追いついていった。18番街も間近になるころには、鶏のすぐうしろまで来ていた。18番街で鶏は右に曲がった。角から4軒目の家まで来ると、私道に入っていき、玄関前の階段をぴょんぴょんと上がって、金属の防風ドアをくちばしで鋭く叩いた。やや間があって、ドアが開き鶏は中に入っていった。」――何事も考えを固めてしまわず、いつも見えているものに疑問を持って心を開いていれば、世の中を眺める目も丁寧になる、そう感じさせる小品である。それがどうしたと、言ってしまえばそれまでだが、なぜか小生の心に張付いて値札シールみたいに剥れないのだ。きっと、ネボケ頭に日曜の早朝の空気も一緒に吸い込んでしまったせいだろう。
母子家庭のチョットしたやりとりの話もある。病院勤務の母はTeenagerの娘のベッドで時々昼寝をして、枕元にメモを残した。生まれてはじめて娘が夜遊びをした夜、深夜そっと家に戻ると母の大きな丸文字で二語「罪を洗うこと!Wash Guilt!」。娘はメモに手をふれず、翌日そ知らぬ顔で母と台所に立った。敬謙な教会信者でもない母はなぜ面と向かって「外出禁止!!」と他の親のように怒鳴らないのかと、顔色を窺った。娘は何日もモヤモヤしたうしろめたさの中、のたうちまわった。フードを被った修道士がベッドの傍らで「罪を洗うこと!」と言っている気がした。1週間が過ぎ、ある晴れわたった日に部屋に入り娘は枕元のメモを見たそこにこうあった「キルトを洗うこと!Wash Quilt!」――後の顚末や詳細はなく、あと味はリスナーにお任せだ。


脳卒中で昏睡状態の父親がフィラデルフィアの病院で夜中に突然意識を取り戻し医師の質問に答える。「あなたの歳は、今は何年ですか、大統領は誰です?」 父親は正確に答える。そして――「ここはどこですか?」 すると父親は一度も行った事のない「ハリスバーグ」の地名をあげ、その2日後に父親は亡くなる。1週後、臓器提供プログラムから突然電話がきて「お父上の心臓は3人の子供の父親でペンシルヴェニア州ハリスバーグの男性に移植されました」と告げられる。因縁深い偶然の一致“シンクロニシティー”とは、守護天使のメッセージで最高の巡り会わせの中にいる事、そんな運命的なエピソードも記憶に残った。他にも、近しい家族や知人が、“死”の直前に遠く離れた自分に何らかのかたちでその予兆を伝える体験も少なくない。
夢の中の話もある。子供の頃、父親から聞いた職場を飛んでいる夢の話を自分の夢の話と比べたもの。彼の夢は少し違ってロッキー山脈やアフリカ、南極を飛んでいる。でも2人とも共通してボールペンのノブをカチッと押すとフワッと飛び上がり、飛ぶ夢を見た後はとっても元気になっている。怖いもの無しで万能で、チョッピリずる賢くなっている。そう、誰にも知られずに空を飛んだ後のように!親と子も、まさにシンクロしているのだ。


摩訶不思議な話もいいが、刊末に収められている2編が何と言ってもプロジェクトを象徴して記憶の尾を引く。
1つは、定年を前に私財を全て処分し、その利子収入を頼りにアリゾナに移り、計画的にホームレスになった元弁護士秘書の女性の投稿。民家の裏庭を借り、テントを張って寝起きし、最低限の生活用品を預けた24hのトランクルームに毎朝のコーヒーを沸かしに行く。大学の社会人コースを受講し、学生プールのシャワー室で身支度を整え、図書館を利用して読書に、インターネット、そして市民劇団の公開公演にも出かける。冬の寒い時期と、この先の健康には不安はあるが人のほどこしは受けないことを信条に暮している。――街ですれ違っても誰がホームレスと思うだろうか?少しあこがれる生き方だ。
そして選ばれし最終稿は、失意のどん底の中、1人の部屋でラジオをつけると訪れる時間の物語。「結局、ラジオは孤独な人たち、世界と繋がりをなくした人々のために作られたのだ。テレビは頑固に同じ方向だけ見つめていて疲れ果てた体全体の反応を要求するが、ラジオはどこにでもいる。今、オースターが物語を求めている。でも、私には語るに足る死も旅もなく運命や信じられない悲劇もない。だけれども、まさにこの瞬間が自分の物語なのだ。」――ラジオは,彼女を光の中に呼び戻すだろう。

―Radio what’snew?―まだあの魔法が解けていないことを願って小生もコーヒーを入れラジオを灯す――。
でも今夜、必要なのは空飛ぶ夢の方かもしれない!?

クインテッセンス出版 書評より

ナショナル・ストーリー・プロジェクト

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